心も身体も限界だった10代栃木県宇都宮市で育った彼は、中学生の頃から不登校となりました。幼い頃から剣道に励み、家庭では学業への期待も高く、厳しい環境。英語だけが思うように伸びず、スポーツに活路を見出した矢先に怪我。さらに起立性調節障害も発症し、心身は限界に近づいていきました。内部進学で高校には進んだものの、再び通えない状態が続きます。1年留年し、「高校なんて行かなくていい」と自暴自棄になるほど追い詰められていました。そのような状況の中、親が見つけて来てくれた学校、栃木県・那須にある日々輝学園高等学校 本校への編入を決めます。自然豊かな環境、人混みが苦手でも過ごせる広いキャンパス、そして通学日数を1日から5日まで選べる柔軟さ。本人曰く「正直親が決めたところが大きかった」とのことですが、その選択が、彼の人生を動かし始めました。先生とカウンセラーの支えで、少しずつ前を向く日々輝学園では、スクーリングが必要な授業だけ登校し、その他は自宅で学習するスタイルでした。通学日数は年8〜9回ほど。それでも、学校に行くたびに先生たちは「話すだけでも良いから来てね」と温かく迎えてくれたといいます。特に、カウンセラーの先生の存在が彼にとって大きいものでした。登校するたびに相談を重ね、友人のように話を聞いてくれる姿勢に支えられたといいます。 「先生は私が変わるきっかけをくれた人です」と語ります。留学の可能性を初めて示してくれたのも、そのカウンセラーの先生でした。「学校生活の中で、英語の苦手意識を克服したいと感じるようになりました。そのために留学して、英語に触れ続ける必要があると思ったんです。」そのように感じていた中でカウンセラーの先生に相談したところ、留学を一つの選択として提示してくれました。 「日本で不登校だったのに海外で大丈夫かな」と不安に思う彼に、先生は「難しかったらすぐに帰ってきてもいいからね」と優しく背中を押してくれました。通信制高校を退学しニュージーランド留学へ挑戦その言葉を胸に、彼はニュージーランドへの留学を決意します。気候や天候の変化に弱く、日本の気候が体調面でも負担になっていたことから、比較的温暖で安定した気候のニュージーランドに決めました。 しかし、現実は簡単ではありませんでした。現地の高校では英語がまったく通じず、授業にもついていけず、ホームステイ先の家族ともなかなか打ち解けられない日々が続きます。「通信制高校のときに、もっと自由な時間を使って英語を勉強しておけばよかった」とその時のことを振り返ってくれました。それでも、「自分で決めたことだから」と諦めずに努力を重ね、徐々に現地の人々との関わりが増えていきます。帰国後に日大へ進学留学を終えた彼は、日本に帰国後、一人暮らしを始めます。海外での生活経験が自立心を育て、自然と新しい環境にも馴染めるようになっていました。 その後、日本大学法学部へ進学。異文化の中で生き抜いた経験が、自信と柔軟さを与えてくれました。 ニュージーランドで感じた「多国籍で誰もが受け入れられる社会」のあり方は、彼の将来観を大きく変えました。「あの国では、いろんな人がいてもそれが当たり前。自分も“こうでなきゃいけない”という気持ちから少し解放されました」と語ります。将来は公務員として「優しい社会」をつくりたい留学や大学生活を経て、彼が次に目指したのは「公務員」という道でした。 「ニュージーランドのように、多様な人が自然と共存できる地域社会を日本でもつくっていきたい」と思い、外国人支援や子育て支援の分野を希望しています。通信制高校を考える人へメッセージ最後に、通信制高校を検討している人へメッセージを尋ねると、彼はこう答えました。 「全日制に通えない理由は人それぞれで、“行かない”のか“行けない”のかでも違うと思います。だからこそ、自分に合った支援を受けられる学校を選んでほしいです。」まとめ中学時代の不登校から始まり、通信制高校での再出発、そして通信制高校の退学と海外留学を経て、公務員という新たな目標にたどり着いた彼。 日々輝学園で出会った先生たちの温かな支援と、自分を変えたいという意志が、未来を切り拓く力になりました。 彼の歩みは、「環境が変われば、人は何度でもやり直せる」ということを静かに教えてくれるものでした。