通信制高校と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。「全日制からドロップアウトした人が行く場所」「人とうまく関われない人が行く場所」──そんなイメージを抱えていたある学生さんは、実際に通信制高校を選び、そこでの学びと生活を通じて、人生を切り拓いてきました。彼が語ってくれたのは、通信制高校が“逃げ”ではなく、“自分の人生を選び取る手段”だったということ。音楽に情熱を注ぎ、自分で働いて生活を支えながら、高校生活を送った学生さんの軌跡を追いました。「推薦入学」からの挫折と再出発彼は、もともと全日制高校の吹奏楽部に推薦で入学しました。中学から続けてきたユーフォニアムをさらに極めるための道でした。しかし高校の吹奏楽部の先生とうまくいかず、退部することを伝えたところ、「推薦なかったら受かってなかったよ」と言われ、退学か系列の通信高校への編入を勧められました。高卒認定試験を取得することは自己管理が苦手で現実的ではないと判断し、系列校である「京都美山高等学校」に転入しました。「週6勤務・音楽練習・単位取得」の3本柱の日々通信制高校での生活は、のんびりしたものではありませんでした。音楽系の学校の学費を稼ぐため、週6日、フルタイムで働きながら学校の課題に取り組んでいました。「朝6時に起きて8時に出勤、夕方まで働いて、帰ってきてからカラオケで練習。木曜日はバイトが休みなので、ひたすらレポートをやっていました。」スクーリングの指定の回数は年5回ほどでしたが、年3回ほどの登校で済んだそうです。学習は基本的に映像視聴とレポート提出。システムにログインして動画を最後まで視聴し、大切な箇所を見返した後にパソコンでレポートを入力しました。「レポートのわからないところは、学校の先生にメールで相談すると“この動画のこのあたりを見るといいよと詳しい秒数を教えてくれました。」「やりたいことをやる」ための通信制高校という選択通信制高校での生活に不満はなかったと話すごうきさんですが、当時の心境は複雑でした。「正直、最初は“通信制にいることにうしろめたさを感じました。」また、彼は通信制高校に転入したあたりで人と話すことを億劫に感じるようになりました。「軽いうつだったのかなと思います。アルバイトではコミュニケーションを取っていたけど、お金にならないなら人と関わりたくないという気持ちでした。」アルバイトと単位取得の忙しさの中で、音楽の存在が彼の心を救っていました。母親は圧迫感のある接し方をしていたため、言葉の制約を受けない音楽に惹かれたといいます。自分の思ったことがすべてという音楽の本質に魅了されました。彼は地元から近いESA音楽学院専門学校に進学することを決めました。専門学校は音楽に没頭する時間を増やすために学費の低いことを理由に選びました。専門学校に進学する際、学校では特別なサポートは受けられませんでしたが、彼が育った養護施設の職員が金銭援助を受けるための申請やレポートの提出を手伝ってくれました。専門学校に進学した後はわからないことだらけですべてが手探りでした。コミュニケーションが億劫になっていたことに関しては時間がたつにつれ、だんだん周りの人と打ち解けていったといいます。しかし専門学校でも先生と対立して、1年で中退しました。そのタイミングで、もともと師事していた先生が日本に帰ってきたことをきっかけに、先生と一緒に東京で暮らすようになりました。「通信制高校だったから、今の自分がある」通信制高校を選んだことに対する“後ろめたさ”は、もうまったくありません。「通信制高校に行くことは自分がやりたいことをやるための選択だったので、自分がやりたいことをやる中で自身が持てるようになるし、自分自身に輪郭がもてるようになりました。一般的な学校生活を送らなくても、自分のやりたいことをやっていれば、自信が持てる。通信制高校に言っていたからこそ今の自分があるので、うしろめたさは全くないです。今の自分で過去の自分の選択の価値を裏付けします。」現在彼は、音楽の仕事で生計を立てています。周囲から「音楽じゃ食べていけないよ」と言われたこともあったそうですが、彼はこう語ります。「自分を満足させなければ、人も満足させられない。やりたいことをやればやるほど、自分自身が裏付けられて、それが他者のニーズになればお金を稼げます。」最後に通信制高校を検討している後輩にメッセージをいただきました。「通信制高校はうまくなじめない人が行くイメージであり、全日制高校にいって卒業される方がメジャーな社会で、自分がそういう風にならないといけないわけではない。高卒資格がないと今選択肢狭まってしまうが、高卒認定資格を一人でとるよりある程度サポートしてくれる状況を選べる通信制高校は、自分を持っている人にたいして大きな身からになります。」通信制高校での学びは、単に卒業資格を得るための道ではなく、「人生を自分の手で選び取る」ことの第一歩だったのだと、強く感じさせられるインタビューでした。