止まってしまった時計と、届かなかった「普通」への願い
小学生の時から集団生活にどことなく馴染めなさを感じていた彼女は、中学2年生になる頃には学校から足が遠のき、3年生になる頃にはほとんどの時間を家で過ごすようになっていました。
母は、娘の学習の遅れを取り戻そうと塾へ通わせたり、バイオリンやバスケのクラブチームなど、彼女が輝ける場所を探して奔走しました。しかし、学校の先生から投げかけられた「なぜこんなこともできないの?」という無理解な言葉や、女子グループ内での冷ややかな人間関係は、彼女の心を深く傷つけていました。
「高校には行きたいけれど、全日制はきっと無理」。そんな娘の切実な吐露を受け止め、母は大きな決断を下します。それは娘が娘のままでいられる場所を探すことでした。そうして親子がたどり着いたのが、公立の通信制高校である横浜修悠館高校だったのです。
強制されない自由
横浜修悠館高校での生活は、これまでの「学校」のイメージを覆すものでした。基本となるのは週に1回、日曜日のスクーリング。自分で時間割を組み、自分の足で校門をくぐるそのスタイルは、人間関係に疲れ切っていた彼女にとって、程よい距離感をもたらしました。
もし日曜日に体調が優れず登校できなくても、別の日に行われる授業へ振り替えができる柔軟なシステムは、彼女の心の重荷を少しずつ軽くしていきました。平日はアルバイトに精を出し、分からないことがあれば学校の図書室へ行って自習する。誰かに強制されるのではなく、自分の意志でスケジュールを組み立てる日々の中で、彼女は少しずつ「自分の人生を生きている」という感覚を取り戻していきました。
「今のままで十分」という雰囲気
修悠館高校の先生たちは、決して彼女を追い詰めるようなことはしませんでした。図書室には彼女が心から信頼を寄せる先生がいて、ただ静かに、否定することなく彼女の言葉に耳を傾けてくれました。
「やりなさい」と背中を押すのではなく、「今のままで十分だよ」と存在そのものを認めてくれる空気感。全日制のような「こうあるべき」という厳しい規律ではなく、多様な背景を持つ生徒たちを丸ごと包み込むような先生方の余裕は、母にとっても大きな救いとなりました。学校内にカウンセラーや精神科医との連携体制が整っていたことも、親子が安心して前を向くための大きな支えとなったのです。
頑張らなくてもいい場所から、ネイリストという夢へ
通信制での3年間は、彼女にとって失われた自信を再構築するための、大切な「心のリハビリ」の時間でした。コンビニや飲食店でのアルバイトを通じて、年齢の異なる大人たちと関わり、社会の中で自分に何ができるかを模索し続けました。かつては人と比べて落ち込むばかりだった彼女も、いつしか「自分は自分でいい」と、穏やかに笑えるようになっていました。
卒業を控えた彼女が選んだ道は、進学ではなく就職でした。アルバイト先での縁をきっかけにエステサロンへの切符を掴み、現在は先に美容の世界へ進んでいた姉の背中を追うように、ネイリストという新たな夢に向かって歩み始めています。
「頑張らなくてもいい場所から、未来は始められる」。母が語ったその言葉通り、彼女は「普通」という重荷を下ろした場所で、ようやく自分だけの翼を見つけたのです。彼女の歩んだ3年間は、今もどこかで足踏みをしている誰かに、「自分のペースでいいんだよ」と優しく語りかけています。

